《読書》スノーボール 第5章:説教癖 ― 1869年~1928年 ネブラスカ州

スノーボール文庫上

『ウォーレン・バフェット伝 スノーボール』の読書企画。今日から第2部に入ります。

第5章は、バフェット家の歴史についてです。

バフェット家は17世紀にフランスから渡ってきたジョン・バフェットを先祖にします。ユグノー系で祖国で迫害されたため、アメリカへ逃げてきました。

時代は進み1867年にネブラスカ州オマハへ行った子孫のシドニー・バフェットは、食料品店を開きました。シドニーは、ウォーレン・バフェットのお爺ちゃんにあたる人物です。

シドニー・バフェットは、
・取引は几帳面にやること
・ソリが合わない相手とは取引をしないこと
・お金よりも信用を大事にすること
・ほどほどの儲けで満足し、早く金持ちになろうとしてはいけない
・死ぬまで健康第一
というような家訓を残しているようで、バフェット家はその原則を受け継いでいます。

また「使う金は入る金よりも少なく」というのがバフェット家の代々の標語でした。

シドニー・バフェットは、食料品店に仕事を探しに来た美しいヘンリエッタと結婚し、5人の子供を授かります。その中のひとりハワード・バフェットが、ウォーレンの父親です。

一方、ウォーレンの母親であるリーラ(レイラと表記されるのが一般的?)は、イギリス人の母とドイツ系アメリカ人の父との間に生まれています。精神に病を抱えがちな家系だったようです。リーラも数学の才能を持っていましたが、癇癪持ちでした。色々が問題があったようで、ウォーレンは「父親の教育はよかった」と語っていますが、母親のことは決して口にしません。

ネブラスカ大学で知り合ったハワードリーラは結婚し、1928年に長女のドリスを出産します。

時代はクーリッジ大統領からフーバー大統領へ変わり、世界大恐慌の前夜でした。

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